本郷台の情報

本郷台昔と今

住宅地の開発

― 開始から分譲終了まで-   (創立30 周年記念誌「30 年の歩み」より)
 私たちが住む本郷台住宅地は、野村不動産株式会社が昭和45年(1970)6月から開発を始め、昭和47年9月から昭和59年11月までの約13年間に販売されました。
 「近郊に残された駅から歩いて帰れる住宅地」として販売された県内でも有数な大規模住宅地で、地域内には公園などの公益施設もじゅうぶん配備されています。同社のマスタープランによると、開発面積は602,801㎡(約60ヘクタール)で、その内訳は次のようになっています。
         宅地面積   305,681 ㎡(51%)
         道路     119,427 ㎡(20%)
         公園緑地   101,873 ㎡(17%)
         学校用     11,745 ㎡( 2%)
         その他     64,075 ㎡(10%)
         区画数    1,390 区画
販売は、昭和47年(1972)9月、まず、宅地から始められました。戸建住宅が最初に販売されたのは、翌年の昭和48年(1973)6月でした。場所は、本郷台3丁目4番地と5番地で、そのときの販売戸数は26戸です。
 このとき住宅を購入された方々が、本郷台住宅地の最初の住民ということになります。
第1回の宅地販売のパンフレットを見ますと、「野村新大船住宅地」という名称で売り出されていますが、そのときは、本郷台駅はまだ建設の途中で、駅名も仮称「新大船駅」となっていました。
その後、駅名が「本郷台」と決定したので、昭和48年(1973)6月に最初の戸建住宅が販売されたときには、住宅地名も駅名にあわせて「野村本郷台住宅地」と変えられています。
当時の航空写真を見ますと、広大な造成地の中に、最初の戸建住宅26戸がポツンと一塊になって建っており、現地案内所は現在のセイフーストアー(旧、野村ストアー)の所にあったことがわかります。
 そして、開通したばかりの根岸線や竣工直後の本郷台駅も写っています。
当時、駅に向かう広い道路(平成7年、愛称が「すずかけ通り」と決まる)は、現在の下水処理場のところでとぎれており、それから先、JRガードまでの間は、細い未舗装のどろ道だったとのことで、当時通勤された方々は大変苦労されたようです。